皆さん、こんにちは。TAKEOFF Gold Coastの犬飼です。
こちらは現在Term2 のWeek4が終わるところです。季節は秋から冬へと向かっています。
また、今週は、NAPLANと言って、オーストラリア全国で小学3年生、5年生、中学1年生、中学3年生を対象に学力統一試験が行われています。このNAPLANについては、また詳しくご紹介します。
さて今日は、タイトルにもあるように、好きなこと(得意なこと)がとことん認めてもらえるオーストラリアの教育環境について書きたいと思います。とはいえ、このテーマは実際の経験上も一言では語りつくせぬほど奥が深いため、まずはとても分かりやすい部分からご紹介できればと思っています。
クラス内での授業がすべてではない
こちらの学校では、小学生のころから、希望すれば追加料金で学校内で音楽やスポーツなどの特別レッスンを受けることができます。例えば、ピアノを習いたい場合、学校に申し込みすると、学校に派遣されてくる講師がマンツーマンまたは少人数のグループで校内で教えてくれるのですが、驚くのはその時間帯です。
10時30分からなど、明らかに授業時間と重なっているのです(登校前・放課後や休み時間にあたる場合もあります)。
その場合は、時間になるとその生徒は授業を抜け出して、音楽室でピアノのレッスンを受けて、終わるとまたクラスに戻ります。だいたい毎週固定の曜日と時間になるので、その生徒は、毎週毎回特定の曜日の特定の授業には出ないことになります。それが算数など主要教科の場合もあれば、アートや体育などの時間の場合もあります。
「え?授業に出ずにピアノのレッスンに行くの?」
皆勤賞という言葉に代表されるように、学校への出席や授業参加は絶対的なものであるという日本の暗黙のルール下で育った私たちの感覚では、授業時間中に趣味のレッスン(いわゆる習い事)が行われるということに非常に違和感を覚えます。
ピアノのレッスンを受けることと引き換えに欠席する授業について「損した、失った、取りこぼした」そんな思いを巡らせてしまうのではないでしょうか。さらに、私たちが不安を覚えるその根底には「皆が一律にやらなければならないこと(授業)をやっていない」という集団心理もあるのかもしれません。
しかし、オーストラリアの考え方では、「学校の授業>ピアノ」ではありません。ピアノが好きなその生徒や家族にとって、学校の授業もピアノもどちらも大切なこと。たまたま時間が重なったに過ぎないのです。
すべては「選択肢の多さ」
一方では、ピアノも習いたいけれど、学校の授業をミスするのが嫌な生徒もいるかもしれません。その場合は、放課後や週末に習いに行くというオプションももちろんあります。
ここでお伝えしたいのは、「学校」という場所が就学年齢の子どもにとって「何よりも優先されるべきもの」や「絶対的な場所」ではないというオーストラリアの教育制度の在り方です。
もちろん、中学・高校と進むにつれていろいろとシビアになってくる面もありますが、小学生のころまでは、学校の勉強以外にもたくさんフォーカスできる物事の選択肢があると思います。
先生や学校からの子どもに対する評価は「個」の尊重
チェスをしている息子たちも、大会前などは授業中にチェスルームに呼び出されて特別なレッスンを受けたり、陸上などのスポーツでも、学校がある日に外で大会やトレーニングが行われるというのはオーストラリアでは珍しくありません。
そして、先生も学校も、国語や算数ができることと同じように、音楽やスポーツなどの課外活動の成果や取り組みを高く評価してくれます。
担任との面談で、息子の成績について相談しても「チェスにフォーカスして頑張ってるからこっち(主要教科)の方は今あんまり心配しなくていいと思うよ」。先生はこんな感じです(かと言って学習面が校内で放置されているわけでもありません)。
子どもたちは、まず、興味のあることに集中できる環境があります。
結果的には、それらの得意なことを生かして、小学生のうちからスカラシップ(特待生)に選ばれたり、一見主要教科とは無関係な分野での経験が、形を変えてその後(高校や大学に進むころ)の学習や仕事でのスキルなどに活かされているのではないでしょうか。
しかし、そこには、日本との最大の違いとしてオーストラリアは基本的に(一部の特別コースを除き)小・中・高校に受験がない社会という背景があります。
勉強したい子、勉強に興味がある子は、中学や高校に入って徐々に目標に向けて舵を切っていきます。頑張るタイミングが、日本よりもずっと後にやってきます。それも、頑張りたい子だけ。勉強ではないことにフォーカスする子は、大学進学ではなく、早くから専門の道で職業訓練等を開始し、将来の自分に必要なスキルを身に付けていきます。
これができるのも、実は、オーストラリアでは給与形態が高卒や大卒などの最終学歴に左右されず、「経験年数」がベースである社会だからこそ。とりあえず大学出ておこうという感覚はそもそもないのです。また、一度社会に出てから学びたいものが見つかり、大人になってから大学などに入学して学ぶことも珍しくありません。
幼少期から18歳ごろまでの期間に、「どこで頑張るか」というタイミングや「何を頑張るか」の目標の持ち方そのものが、日本とは大きく違うことを感じています。
写真は今回のブログ内容とあまり関係がありませんが…